Peace full info by 平和と民主主義をすすめる左京懇談会


平和と民主主義をすすめる左京懇談会10年史

 平和と民主主義をすすめる左京懇談会(略称「「さきょう平・民・懇」」は昨年(2001年)活動再開10周年を迎え、第11回記念総会を5月19日に開きました。この機会に活動再開10年の主なあしどりが、当時の事務局長・藤井洋一さんの手でまとめられ、総括編である「特徴点」は、総会時に配布されました。これに「年表風まとめ」と代表世話人の方々のエッセイを加え、「10年史」の予備版として、ここに発表いたします。執筆時期は、いずれも2001年5月以前です。今後、これを核にして、一層充実した本版の完成が望まれます。

目次

第1部
第2部
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第1部

小学校区ごとに世話人を

鯵 坂  真

 「平和と民主主義をすすめる左京懇談会」は、1981年に結成されましたが、その後休止状態であったものを、1991年春に活動を再開して、ちょうど10年になります。力不足の面もありましたが、ねばり強く活動し、住民の皆様の御理解と御支持を得て、今日まで続けてくることが出来ました。情勢は更なる発展を必要としていると思いますが、新しい世紀を迎えて、一層の御支援・御鞭撻をお願いいたします。

 この間、私は代表世話人(会長)を勤めさせて頂いて来ましたが、一昨年と昨年、勤め先の大阪府の知事選挙候補者になることとなりましたので、左京平民懇の役員を続けることが困難となり、昨年春より、会長職を京大名誉教授の倉知三夫先生と交替して頂きました。私も2回の知事選を終えて、左京区に戻って参りましたが、引き続き大阪府での「明るい会」や諸団体の仕事が増えておりますので、左京平民懇では一世話人として、倉知会長のもとでお手伝いをさせて頂くという立場におかせて頂くことになりました。これまでの御支援に感謝致しますと同時に今後ともよろしくお願い申しあげる次第です。

 この10年間、力量不足でありましたが、それでもいろいろなことをやって来ました。8月15日の敗戦の日と12月8日の開戦の日には、平和で、外国に迷惑をかけない日本を願って、街頭宣伝を行って来ました。8月下旬には平和映画祭を毎年行い、これも定着して来ました。その他、年に数回、時局について、戦争協力法や沖縄の基地問題などの学習会を開いて来ました。また『京都左京の15年戦争』(かもがわ出版)の出版を実現出来たことも重要な意義があったと思い起されるところです。

 いろいろな仕事をねばり強く続けて来れたことは区民の方々の御支援と御協力のおかげでありましたが、組織的には労働組合など左京区内の民主団体の団体加盟のお力に依存するところが大きく、個人会員の数が少いところに問題があると思われます。今後の課題としては、この個人会員を飛躍的に拡大させる必要があると思われます。そのためには小学校区毎に世話人を置き、ニュース配布網を整備する必要があるでしょう。

 情勢は複雑で重大です。戦後最悪の不況、デフレ状態のもとで、自公保政権への不信が高まっていますが、小泉政権の誕生で、彼らは憲法9条の改悪さえ公言している状況です。21世紀初頭、まさに平民懇の出番のときではないかと思います。

 国民の中には、かってなく広範な無党派層の人々が生れ、かなり高い意識をもってNGOや各種ボランティア組織、多種多様なサークルを作って動いている状況もあります。これら多数の市民のグループ・サークルの中の平和と民主主義を求める声を一つにつなぐ結節点としての役割を平民懇(革新懇)は果すべきではないでしょうか。今後とも一層努力していきたいと思います。(前会長)

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憲法が生きる平和な日本へ

池田 文穂

 今日、世界の流れは、明らかに「紛争の解決は武力によらず話し合いで平和的に行う」流れが大きくなってきています。この10年間で世界の地域紛争は激減、軍備を持たない国はコスタリカなどを含め12カ国にのぼっています。アジアでは非同盟運動の前進、南北朝鮮の対話・交流の促進、東南アジアで非核地帯条約の締結などが顕著です。

 こうした世界の流れに真っ向から挑戦し、軍事力・核兵器にしがみついているアメリカの政策は完全に孤立しています。「ソ連が崩壊したのに、なぜ巨大な軍事力を持たなければならないのか」「何のための軍隊か」国際的にも、アメリカ国内でも疑問と懸念の声があがっています。「若い将校の13%が中途でやめていく異常な事態」といった報道もされています。ところが、アメリカ政府は、「我々の利益のためには、やるときには断固としてやる」といった剥き出しの論理を前面に出して、国連無視のユーゴ空爆や先日はイラク空爆を行うなど、今や戦争の危険をもっともはらんだ国となっています。先日、米原潜によって引き起こされた衝突・沈没事故では民間人を乗せて危険なデモンストレーションを行っていたことが大きな問題となっていますが、潜水艦の威力・必要性を国民に必死にアピールしようと年1万人もの民間人を招待して繰り返し行っているそうです。もはや、巨大な軍事力の持つ意味を納得させる根拠はなにもありません。こうした、アメリカの身勝手な戦争に日本が自動的に巻き込まれ、参戦することを断じて拒否しなければなりません。日本がアメリカの戦争を拒否し、核も基地もない平和の国になることがアジアと世界の平和にとってどれだけ大きな希望となるか。21世紀、アメリカの戦争協力者から、憲法9条が生きる平和な日本の発信者になろうと強く思います。 (日本共産党・左京地区委員長)

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光陰矢の如し

浦本 信子

 1960年(昭和35年)、安保反対闘争の真最中、テレビのスイッチをひねると、安保反対の映像が写し出され、学園や職場から反対運動のうねりが全国にひろがって行く。幼い子供達まで棒ぎれを持ち、ワッショイワッショイ安保反対と叫び、遊びの一つになっていた。

 あの日本列島をゆるがした安保反対の闘いから40年の月日が流れている。徳川300年の歴史は封建社会の中に民衆を閉じ込め、士・農・工・商等という身分差別の階層を作り出し、武家による、支配者に都合の良い専制政治時代が長く続き、自由、民主主義の言葉もなく、民衆は忍従の日々に甘んじていた。

 欧米先進国に比べると、歴史的にははるかに立遅れていた。又15年戦争は皇国史観教育がまかり通り、言論の自由は一切奪われていた。

 現在は10年が一年位の早さで目まぐるしく移り変わっている。

 左京平民懇は、学習会、映画会、宗教者との交流会、憲法署名等を重ね、10年を迎え、ますます期待されるところである。

 自民党支配の政治と決別するため、革新の道しるべとして、左京平民懇は継続を力として、21世紀を力強く前進しよう。(関田内職友の会)

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くらしを守る意思表示の場

倉崎 久子

 10年前、「さきょうへいみんこんに参加してほしい」と電話をもらいました。私は「平民?」とっさに今どきまだ平民という言葉があるのか―とおどろきました。とまどった声を出す私に「左京平和と民主主義をすすめる懇談会です」とフルネームで話されました。平和と民主主義! 戦後デモクラシーの中で青春をすごした私には何とも嬉しくまぶしい一言でした。そういうわけで「ハイ」と二つ返事で参加しました。

 それから多方面の勉強をさせていただき、更にとり組みについて意見を出したり。個人的にも知識をもらい乍ら、少しでもくらしの中で平和で民主的な政治へ声を上げられる大きな輪を広げたいと思っています。ながい間生協の中で、くらし、平和、民主主義の理念のもとに自主的な部分を尊重しつつ活動してきたことと大かた重なるところがあって、私にとってはくらしを守る為の意思表示の場だと固く思っています。

 しかしこの頃戦後デモクラシーの中で高らかに唱えてきた平和と民主主義という言葉は風化してきたように思えます。平和で民主的な世の中は当たり前のことで、その通りなのだと思いこんでいる人が多いようです。戦争中情報がまげて伝えられ、国民は何も知らないまま、本当に勝つまでは−との思いで生きていました。子供の頃の記憶から今私の中で危機感があふれます。

 文部科学省の進める新しい教科書を作る会のメンバーはアジアの諸国でおこした日本軍の恐ろしい実態を知らせることなく正しい歴史認識をおおいかくす意見が多いと聞きます。正しい歴史認識を次の世代に伝えて行くことこそがアジア諸国で多くの罪をおかした日本のとる責任だと思うのです。

 夫々の地域で革新懇、平民懇、が自主的にできることから話の糸口を見つけて一歩ふみ出して、可能なところから芽を出して行けば、そこから少しづつひろがった連携が生まれてくることでしょう。そして更に全国のネットワークにつながって、政治を変えて行く草の根の運動が未来の希望となってくると信じます。まさに国民の多数が元気を出すもとだと思います。政治を国民のものとする為に、守り育てて行かなければならないし、多くの願いを集めて政治をかえて行くには平和と民主主義の言葉をもう一度しっかり確認し合って、今どうすればよいかをしっかり話し合う場が必要で大切なことだと考えます。

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私と民主主義との出合い

倉知 三夫

 広辞苑(第4版、新村出遍、岩波書店、1991)には、”民主主義”を次のように説明しています。

 「民主主義(democracy)の語源は、ギリシヤ語で、demokratiaで、demos(人民)とkratia(権力)とを結合したもの。すなわち人民が権力を所有し、権力を自ら行使する立場をいう。古代ギリシアの都市国家に行われたものを初めとし、近世に至って市民革命を起した欧米諸国家に勃興、基本的人権・自由権・平等権あるいは多数決原理、法治主義などがその主たる属性であり、また、その実現が要請される。」この”民主主義”という言葉との出合いは、1946年(昭21)11月3日に公布された日本国憲法の前文を読んだ時に始まります。1927年(昭2)生れの私は、戦後の混迷の中で旧制高等学校の生徒として、目から鱗が落ちる思いで熟読しました。

 顧みますと、小学校では「ススメススメヘイタイススメ」の国語、中学校では軍事教練、防空演習、勤労動員で、徹底的な皇国史観教育に洗脳された軍国少年に育っておりました。大日本帝国の”護国の鬼”となるべく、1944年(昭19)10月には海軍兵学校76期に入校しました。この学校では、1・2・3号生徒からなる分隊(約50名)単位で構成された生徒館生活で徹底した生徒自治が行なわれ伝統的に厳しい上級生の躾教育をうけました。生徒館の廊下には大きな鏡があり、毎日自分の姿を観る機会に恵まれました。分隊には、おやじに相当する分隊監事がおられ、「この戦争には勝ち目がないから、しっかり普通学を勉強しておけ」「海に落ちたら腹が砂につくまで泳ぎきれ」と教えてくださいました。教官は太平洋上で万死に一生を得た方でした。また、兵学校では皇国史観教育はありませんでした。いまでも、戦後のいろいろな人生を歩んだ”分隊会”を毎年開いて懇談しています。

 1945年8月6日、私達は忘れもしない広島原爆の真白なきのこ雲が立ち昇るのを江田島から眺めました。8月24日には、生々しい惨状の広島を通って京都へ復員しましたが、「戦争とは」、「国を護るとは」、「いのちとは」等々、多くの疑問に混乱した私自身に気付きました。私の人生航路を180度転換せざるをえない危機でした。この危機の中で出合ったのが、民主主義を掲げる日本国憲法だったのです。幸い、自由の鐘をつく第三高等学校の生徒でした。反戦自由の学者を輩出した京都大学の入学試験には、英文の憲法前文を和訳する問題も出ました。

 京都大学に入学・奉職して停年までの40年間には、職員組合活動やイタイイタイ病の原因となった神岡鉱山からのカドミウム流出防止対策の研究や中国との科学技術交流など、民主主義に関わる実践的経験を学ばせていただきました。これからも、平和と民主主義をすすめる左京懇談会で”民主主義”の実現に努めたいと思っております。(会長 京都大学名誉教授)

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「さきょう平・民・懇」とのかかわり

鈴木 整

 左京地区委員会統一戦線担当として、佐藤さんのあとを受け継ぎとりくんできました。事務局長の藤井洋一さんは、当初私のことを「佐藤さん、佐藤さん」と呼ばれていました。佐藤さんの印象がよほど強かったんだなと思いました。まっ、そのうち自然に覚えてくれはるだろうと思ってやってきました。

 毎回の運営委員会は楽しいものでした。運営委員のみなさんは歴戦の闘士たちです。一つひとつの発言に含蓄があり学ばされました。特に憲法を守るとりくみを開始するにあたって、くりかえし論議を深め行動にたちあがったことは平民懇ならではと感じました。

 「憲法を守る」署名開始へむけた、呼びかけ人組織のための組を組んでの統一行動は、私にとって初めての経験も多くなかなか楽しいものでした。北は大原の古知谷から南は東山との境にある、だんのう法林寺まで相当の寺や教会を訪問し、呼びかけ人へのご依頼と懇談を重ねてきました。呼びかけ人へ名前をつらねることはできないが、主旨には賛同しますといってカンパを寄せてこられる方もおられました。この訪問を契機に藤井洋一事務局長は、間に合わせで手書きの名刺も作成しました。その後正式な名刺を作成したことは、いよいよ平民懇が表に打って出る絶好の機会になったことの証明ともなりました。

 降り積もった雪もまだ融けていない時期に訪ねた鞍馬寺では、管主の信楽香仁さんから丁重なおもてなしを受け、鞍馬弘教の教えは、宇宙からの授かり物である草木の一本一本を大事にすることであり、人間もその自然のひとつであること。それを破壊する戦争は絶対におこしてはならないこと。憲法を守ることは共通の思いであることなどが話されました。帰りにはお土産もいただき恐縮しきりでしたが、同行した一同このとりくみの大切さをあらためて痛感したものでした。

 この時期に新しく「さきょう平・民・懇」の会長になられました倉知先生が、平民懇の夏の行事となった「平和と映画のつどい」であいさつされたお話は、私が子どものころに繰り返し聞いた父の戦争体験とも重なり、胸をうつものでした。21世紀に生きる私たちが、子どもたちにその思いを語りつぐ大切さを思いおこさせるものでした。

 21世紀こそ「さきょう平・民・懇」の出番の時だと思います。日本国憲法の民主主義思想を世界にしめす役割を自覚して、いっそうの奮闘を決意しています。若い会員をたくさん増やし、再開10周年のとりくみが左京での憲法の花開く出発点となるよう、ともに頑張りましょう。(日本共産党左京地区常任委員)

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さきょう平・民・懇再建のころ

寺本 光

 左京平民懇(通称)の結成は全府的にみてそう遅い時期ではなかったが具体的な体制がとれないでそのため区民の認識にまでなかなか到らなかった。発足当時の情勢は1978年に7期続いた民主府政を失いその時京都の革新統一から社会、公明、民社の各党が脱落した。これも大分古いことになった。1980年代にはいり商業新聞で殆んどの各紙が「保守化の時代」論を大宣伝した。自民党が大会で改憲論議の推進をうちだしたのはこの頃だった。日本共産党の宮本委員長は1981年の新春インタビューで「第二の反動攻勢恐れるにおよばない」と訴え「保守化の時代」などの宣伝に情勢を戦闘的に打開することを訴えた。これに応えて5月に平和、民主主義、革新統一をすすめる全国懇談会(全国革新懇)が結成された。前述のように左京区でも結成した。単一組織ではないので組織的に上部下部の関係はないが右傾化する政治情勢のなかで民主的な団体・個人が集まり、共同して革新統一、政治革新の展望をきり開く活動を続けようと組織されたものであった。

 当時現職であったころから私も左京の住人で左京のこの活動はいつも気になっていた。毎年の年末の望年会にはかなりの活動家の方々が出席されるのに活動の実態が一向にみえないのはなぜだろうという考えがあった。1990年11月末に市内で開かれた「梅田まさるさんごくろうさん会」に出席した折に藤井洋一さん(その後再建活動の事務局長)との間で左京平民懇の活動の話が出た。翌春には停年退職という藤井さんもこのことを気にして居られた。何よりも心強く感じたのは藤井さんが再建についての意欲をもって居られたことだったと記憶している。1991年1月には藤井さんを中心に何人かが集って相談した記録が残っている。この会に参加された運営委員としての諸氏は鯵坂眞氏=再建以来会長として活躍され、住民の運動に理論をふきこむ学者で大衆活動家、藤井洋一氏=真面目を絵に画いたような局長、元安井病院の事務長で左京の民主運動に精通。木田鍵作氏=地味で勉強家で分析力をもった実務のベテラン。倉崎久子氏=生協運動で新しい分野の女性の運動を熟知した美人でおしゃれな人。少し遅れて浦本信子氏=内職の運動に全身をおいて左京区内の民主運動の初期をも知る人などが日常的な運営委員会に参加して居られた。私も退職後一員として参加した一人である。

 こうして再建後の活動は藤井洋一さんの記録にあるような前進を遂げて来た。今にして思えば、運動の発展には事務局の団結とその中心になる人と会長が必要であること。何より活動の継続が大きな力になることが大切だということ。更に運動を広げるには機関紙(ニュース)の発行である。これらが相俟って住民への浸透と発展が得られるということを痛感している。(代表世話人・運営委員)

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21世紀の左京平民懇を展望して

中谷 眞久

 21世紀は統一戦線の成長発展が展望を切り拓く時代であると確信します。

 私の所属する左京生活と健康を守る会は、7年前左京平民懇に参加しました。生健会の全国組織―全生連は創立46周年、全国世帯数の内、三千万世帯を超える低所得者・貧困世帯の要求と運動を組織し、憲法に定める国民の生存権保障を要求して活動を続けて来ましたが、今日の情勢下ではどんな切実な要求を実現するためにも、白内障眼内レンズの保険適用の実現の成功を見てもわかるように、広汎な各階層の団体個人との協同なくしては成功し政府の福祉切り捨て政策に風穴をあけることが出来ませんでした。

 従って、強権・腐敗の自公保連立政治の継続から、今日、”ルールなき資本主義”と云われるように国民の願いを無視して政・官・財癒着の構造を保持して悪政を強行し暴利を貪る巨大資本家・高級官僚・政党幹部と、通常の資本家・中小企業家の大部分や一般の公務員、真面目に考える地方政治家との間に共通する利害はなく、たとえ、物の考え方に違いはあっても、おそかれ早かれ、国民の利益に沿った国や地方政治に転換を求める一つの大きな潮流に合流せざるを得なくなることは間違いありません。私はそう信じています。

 私達生健会は、未だ会員数も少い小団体にすぎず、財政力も弱い団体でありますが、しかし、左京平民懇の活動に参加してからは、自らの低所得者・貧困者の深刻で切羽づまった諸要求の実現に向って、総力をあげて運動をひろげると共に、革新三目標の実現こそが私達の階層の諸要求実現の根本的な解決の方向であると確信して、平民懇の各種の取り組みを必ず毎月の役員会の重要な議題の一つとして真剣に討議し、目標を決めて成功のために欠かすことなく参加して来ました。小さな団体といえども、この角度からとり組めば、平民懇の取り組みも一層大きくなるのでは、ないでしょうか。そう信じています。

 今ひとつは、平民懇自体の財政強化の課題です。その基本は団体と個人の飛躍的拡大にあることは論をまちません。そのカギは、職場・学園と学区地域にあると思います。平民懇は元々草の根から拡げ下から建設していくものだと思います。特に地域では、消費税の時に多くの広い人々とのつながりを有し、宗教家・知識人・中小資本家の方々も多く住んでおられます。左京一個所に集中する一方で、左京平民懇と有機的に連繋しつつ、条件のある小学校区からでも、世話人が協力して広汎な人士によびかけ、平民懇の学区版をつくりあげて、平民懇左京にも代表者が参加し、時には、学区で学習会や宣伝行動が出来るようにしてはどうでしょうか。

 全く私の一方的な感想にすぎませんが、あえて一文をとどけます。(元京生連会長・現顧問 左京生活と健康を守る会)

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第2部

活動再開(1991・4・18)後の主なあしどり

―その特徴点―

平和と民主主義をすすめる左京懇談会
事務局長 藤井 洋一

 「さきょう平・民・懇」は、21世紀の幕開けの年に、活動を再開して10周年を迎えます。今回この10周年のとりくみの一つとして、この間の「さきょう平・民・懇」の活動のあらましについて、日記風にまとめることとしました。

 ちょうどこのとき全国革新懇が京都において「地域革新懇全国交流会」(2000・12・9-10)を開催しました。「さきょう平・民・懇」もこの集会に参加し、平和・民主主義そして革新を願う全国の代表と交流しました。いま全国津々浦々の町や村で、525の地域革新懇が活動し、大企業や官庁を含めて、143の職場革新懇が組織されています。そして全国革新懇が掲げている三つの共同目標―(大要)「(1)大企業・財界の利益のために国民のくらしを犠牲にする政治に反対し、軍事費の削減と福祉・教育の充実を実現すること、(2)憲法改悪をはじめ軍国主義復活のあらゆる策動に反対し、自由と民主主義を守り、清潔・公正な政治を実現すること、(3)核兵器の全面禁止を緊急課題とし、日米安保条約・軍事同盟をやめ、平和で真に独立した非核・非同盟・中立の日本をめざすこと」―を国民的協力・共同の旗印として、草の根からの運動をすすめています。

 そして、今日、諸要求を実現するうえで、日本の政治・経済・国民のくらしに対する責任を投げ棄て、金権・汚職にあけくれている自民・公明・保守3党の連立内閣の悪政を打開し、国民が主人公の政治に転換する以外にないことは、誰の目にも明らかになってきています。これは直近の世論調査で自民・公明・保守3党連立の森内閣支持率が、1桁台にまで落ち込んでいる事実に表れています。

 私たちは、21世紀の早い時期に、民主勢力の連合により政治を革新するために、この基盤としての役割と力量をもつ平民懇・革新懇づくりに積極的にとりくんでいます。

 「さきょう平・民・懇」も活動再開以来、こうした運動の一翼を担って声をあげ、力一杯に活動をつづけてきました。今回、この間のあゆみについてふり返り、左京区における21世紀の平民懇・革新懇運動を展望することは、私たちの日々の活動に大いに役立つものと思います。詳細は、「主なあしどり」(資料編)を参照していただくとして、ここでは「その特徴点」のあらましについてふれたいと思います。

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1.京都革新懇・「さきょう平・民・懇」の結成

 1980年代の冒頭、「社会党・公明党の政策合意」(社・公合意)のもとで、社会党がすべての協議から共産党を排除するという革新に背を向けている状況を打開するために、日本共産党は、政党の組合せにとらわれない、政治革新の目標で共同する新しい統一戦線組織を呼びかけました。(1980・2)

 京都では、この呼びかけに応えて、1980年5月に、いち早く、平和と民主主義をめざす京都懇談会(京都平民懇。現京都革新懇)を結成しました。(2000・10・27 京都革新懇20周年記念集会の文書より)

 その後左京区でも、重沢俊郎京都大学名誉教授を世話人代表として、「平和と民主主義をめざす左京懇談会(左京平民懇)」が組織され、京都大学六者懇談会―職員組合・大学院生協議会・学生自治会連絡協議会・生協理事会・生協労働組合・和進会労働組合―と左京原水協が協力して「左京平和フォーラム」(1981・8・9)や「不戦のつどい」(同12・4)などにとりくんできました。

 しかし、当時、組織の要となる体制が不十分であり、平民懇を組織として運営を継続することが出来なくなり、この状況が長くつづいていました。(この問題についての総括の有無やその文書の所在については、今のところ不明のままです)

 こうした中で、20世紀も最後の年代である1990年代を迎えて、左京区の平和と民主主義を願い、革新統一をすすめている人びとの間で、平民懇の活動再開を求める声が強まり、組織解体状況となっていた反省をふまえて、半年以上にわたる準備段階を経て、ようやく再開総会にたどりつくことができました。

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2.「さきょう平・民・懇」の活動再開

 と き:1991年4月18日(木)午後6時30分
 ところ:みかげ会館
 参加者:21人
 きめたこと
 1)当面の活動方針
 2)とりきめ(規約)
  名称 平和と民主主義をすすめる左京懇談会(略称「さきょう平・民・懇」)
  事務所 能勢記念館
  会費 一口 団体 (年)3,000円  個人 (月)  100円
  会議 <定例>総会(年1回) 代表世話人会(年2回) 運営委員会(月1回)
     <臨時>それぞれ、随時
 3)役員 会長(1名)、事務局長(1名)、財務担当(1名)、代表世話人(8名)、運営
      委員(5名) 
 特記 名称を「めざす」から「すすめる」としたこと。略称も「左京平民懇」から「さ
     きょう平・民・懇」に改めたこと。
    「とりきめ」(規約)を制定し、組織の活動目標と運営体制を整備したこと。
    この時点の参加団体・個人 17団体、10人

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3.活動再開後、10年間の主なあしどり―その三つの特徴点―

第1 平和と民主主義のための粘りづよいとりくみ―この活動を通じた協力・共同の輪の広がりと「さきょう平・民・懇」の市民権の増大―

 この具体的なとりくみは、別項の「主なあしどり」(年表風まとめ)を参照して頂くとして憲法の平和的・民主的原則を擁護する運動、日米安全保障条約の破棄と日米防衛協力の新指針(戦争法・新ガイドライン)に反対するたたかい、沖縄をはじめとする在日米軍基地の縮小・撤去の要求に連帯するとりくみ、および阪神・淡路大震災被害者救援義捐金募金活動、戦争体験を風化させないとりくみなどについて、そのときどきの情勢と課題に対応して「左京区に平民懇あり」の意気込みでとりくんできました。

 これらのとりくみの特徴点として、次の3つの経験を特記しておきます。

 一つ目は、戦後50年の節目を迎えて、日本の軍国主義政府が、アジア・太平洋諸国に加えた侵略戦争の時代・いわゆる15年戦争―満州事変・日中戦争・太平洋戦争―下における左京区民の暮しの実態、先達らの平和・民主主義および革新のためのたたかいなどについて、住民史の一環として、住民自身の手で掘り起こした労作『京都・左京の15年戦争―戦時下に生きた人びと―』(かもがわ出版社、頒布価1,600円)を出版したことです。これは、当時、戦時下の体験をもつ語り部がますます少なくなる中で、各分野にわたる体験を記録したものであり、今日、私たちがとりくんでいる諸運動のなかに伝統として息づいています。さらに、この出版にあたって、56名の方々が執筆に参加し、この普及活動には、100名をこす人々の協力をうけて、「さきょう平・民・懇」として、815部を普及してきました。財政的にも、平民懇の負担は編集作業の実費だけであり、1円の赤字も出していません。

 私たちは何よりもこのとりくみを通じて、「さきょう平・民・懇」の存在が多くの方々に受け入れられ、信頼が一層強まり、左京区において市民権を得る大きな転機となったと思います。そして、これがその後の諸運動の展開に大いに役立つものとなっています。

 なお今後の課題として、敗戦から60年の日米安保条約改定反対のたたかいまでの左京区における諸運動の記録を続編として刊行してはどうかという問題提起があったことを付記しておきます。

 二つ目は、平和と民主主義を願う人々が結集し、交流できる場として、1997年以来、原水爆禁止運動や太平洋戦争終戦の日のとりくみなど反戦・平和のとりくみが高揚する8月に、「平和と映画のつどい」を開催してきました。企画も、映画だけでなく、うたごえや講演もあり、好評な催しとなっており、毎年300人前後の人々が参加する恒例行事として定着しています。直近の2回は次に述べる4団体が協力してとりくんでいます。

 三つ目は、戦争法・日米防衛協力の新指針(新ガイドライン)に反対するたたかいを、草の根から発展させるために、左京区において初めてのとりくみとして、「さきょう平・民・懇」のほか、左京地区労働組合協議会(左京地区労)、原水爆禁止左京協議会(左京原水協)、日本共産党左京地区委員会(日本共産党)が参加する4団体打合せ会を発足させました。そして、意見広告のほか、街頭宣伝、団体への訴え、パレード、小集会、学習討論集会、署名など、さまざまな活動にとりくみました。これらのなかでも意見広告のとりくみは、1口500円以上の資金協力を受けて、674名の個人と37の団体の賛同が得られ、これらの賛同者氏名を含めて戦争法・新ガイドラインに反対する訴えのビラを作成し、前記のさまざまなとりくみに活用してきました。さらに、「しんぶん赤旗」(日刊・日曜版)へのビラ折込みに加えて、左京区内に多くの読者をもつ京都新聞(33,700部)にも折込みを行ないました。したがって、このビラは左京区内のすみずみにまで配布できたと思います。

 この4団体打合せ会は、ゆるやかな共闘組織ですが、思想・信条にかかわらず、国民の間に広がっている政治の転換を願う運動と協力・共同できる組織としての役割は大きく、左京区において、平和と民主主義と国民のくらしを守る運動を発展させるうえで、大いに貢献できる組織として重視する必要があります。「さきょう平・民・懇」としても、そのために積極的役割を果していく所存です。

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第2 学びつつ行動し、その輪を広げていくために―16次に亘る学習討論集会のとりくみ―

 これは当初、代表世話人会にあわせてとりくんだ「左京区における進歩と革新の伝統」の学習を契機としたもので、その後、今日の情勢に即して対象を拡大し、平民懇の内外に広く参加をよびかけることとし、名称も学習討論集会としました。そして、テーマもそのときどきの国民的課題で関心のあるものをとりあげ、参加者と団体の活動交流や必要に応じて行動提起を行なってきました。さらに左京区には在住の学者・文化人・宗教者などの知識人が多く、講師などの協力を通じて平民懇への理解と協力が得られつつあります。

 今後とも、学ぶことは行動の力と情熱の源であり、運動の継続・発展に欠くことのできないものとして、この学習討論集会を重要視して行きます。

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第3 組織の運営―諸会議の定例開催と記録―、財政を強化するとりくみ

 この間「とりきめ」に定めている通り、総会はもちろん、代表世話人会、運営委員会の定例開催を一貫して堅持し、必要に応じて臨時にも開催してきました。そして、それぞれの会議についてレジュメと議事録を作成して、組織の運営にあたってきました。

 また、財政について、どのような運動も財政をともなわないとき、必ず停滞し、ひいては運動が中断する結果となることを過去の歴史が証明しています。したがって私たちは、会費などの収入と必要な経費を明らかにして、財政不足(赤字)が生じないようにしてきました。さらに、どのような運動にとりくむに当たっても、財政を含めた目標をたて、組織財政から若干の負担を行なうとしても、その運動に見合う資金協力を訴え、赤字を出さないことを基本としてきました。今後ともこの立場を堅持していく必要があります。

 一言ふれておくべきことがあります。それは今日、平民懇・革新懇に求められている役割に比べて、会員(団体・個人)がまだまだ少ないことです。とくに保守的な人々、無党派層との協力・共同が期待されているとき、団体の加入とともに、個人会員の拡大にとりくむことが大切です。

 いま、国民の不信・不満の声の高まりと怒りの行動の広がりに直面して、自民・公明・保守の森連立内閣は周章狼狽し、迷言・妄言をくり返し、退陣せざるを得ない状況に追いつめられています。そして多くの国民の間で、アメリカべったり、大企業と高額所得者の利益優先、国民犠牲の悪政を転換し、国民が主人公の政治を願う声と動きが広がりつつあり、私たち平民懇・革新懇との協力・共同の可能性がつよまっています。とくに左京区には、前述のごとく、平和・民主主義・革新の運動において、協力・共同の歴史と伝統があり、そのエネルギーの蓄積があります。

 20世紀のたたかいを受けつぎ、21世紀の早い時期に、国民の手により、国民のための政治を実現するために、すべての地域・職域・学園において、草の根の運動をになう平民懇・革新懇を建設しなければなりません。


 活動再開10周年および21世紀の幕開けの年にふさわしい「さきょう平・民・懇」の第一歩を力づよくふみ出しましょう。(2001年3月10日)

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活動再開後10年(1991―2001) 年表風まとめ

1.平和と民主主義をすすめる活動
−「さきょう平・民・懇」のとりくみ−

1991年

 太平洋戦争開始50周年
  1)それぞれの「12月8日」を語り合う集い
    と き: 1991年12月7日(土) 午後6時30分
    ところ: みかげ会館
    参加者: 8団体19人 
  2)街頭宣伝
    と き: 1991年12月8日(日)午前、午後
    ところ: 銀閣寺ターミナル 3人
         高野いづみや前  11人
         修学院プラザ前  3人

1992年

 金権・汚職にまみれ、右翼暴力団と癒着する自民党の悪政を糾弾する街頭宣伝
    と き: 1992年11月8日(日) 午後1時−3時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 6人
    マイク宣伝とビラ配布
 太平洋戦争開始51周年の日の街頭宣伝
    と き: 1992年12月8日(火)午後5時−6時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 7人
    マイク宣伝とビラ配布
 「望年のつどい」−前記街頭宣伝に続いて−
    と き: 1992年12月8日(火) 午後6時30分
    ところ: 佐野屋
    問題提起: テーマ「激動する情勢と対応」
        担当・中川義文氏(「さきょう平・民・懇」代表世話人、日本共産党左京地区委員長)

1993年

 太平洋戦争終戦48周年の日の宣伝活動
 −京都平民懇と共同して−
    と き: 1993年8月15日(日)午後4時30分−5時15分
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 京都平民懇 5人 「さきょう平・民・懇」 2人
 太平洋戦争開始52周年・学徒動員50周年の日 街頭宣伝
    と き: 1993年12月8日(水)午後5時−6時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 3人
    マイク宣伝とビラ配布
 小選挙区制、政党への公金助成制に反対し、その導入を阻止するためのマラソンスピーチ
 −百万遍マラソンスピーチ実行委員会の行動に参加して−
 臨時国会会期中1993年10月12日(火)−12月15日(水) 午後0時30分−1時(休日を除く54日間)
 延長国会会期中 1993年12月16日(木)−1994年1月29日(土) 同上(休日及び国会休会中を除
  く17日間)

1994年

 太平洋戦争終戦49周年の日の宣伝活動
    と き: 19994年8月15日(月)午後5時−6時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 7団体9人
    マイク宣伝とビラ配布
 太平洋戦争開始53周年の日の宣伝活動
    と き: 1994年12月8日(木)午後5時−6時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 3団体4人
    マイク宣伝とビラ配布
 戦後50年を迎えるにあたって
 1)「戦時下のくらしを語る集い」(1)
   −左京生健会下柳班班会−
    と き: 1994年9月9日(金)午後2時
    ところ: 田中下柳町・長尾氏宅
    参加者: 11人(生健会会員。平民懇2)
 2)「戦時下の生活を語る集い」(2)
   −講演と出版協力の要請−
    と き: 1994年12月17日(土)午後2時
    ところ: 左京民商会館会議室
    講 演: テーマ「戦時下の日本の内外情勢と現在−戦後50周年を迎えるにあたって−」
         講師・井口和起教授(京都府立大学文学部)
    参加者: 7団体20人

1995年

 阪神・淡路大震災(1995年1月17日)被災者救援義捐金募金活動
  <第1回> と き: 1月28日(土)午後4時−
        ところ: 高野いづみや前
        参加者: 7人
        マイク宣伝とビラ配布
        義捐金: 28,088円(このあと、別に3,000円が寄せられる)
         直ちに全国革新懇を通じて被災地に送金
  <第2回> と き: 2月22日(木)午後4時−
        ところ: 高野いづみや前
        参加者: 7人
        マイク宣伝とビラ配布
        義捐金: 18,308円(後日、別に2,000円が寄せられる)
         全国革新懇を通じて被災地に送金
 太平洋戦争終戦50周年の日の宣伝活動
    と き: 1995年8月15日(火)午後5時−6時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 9人(戦後50年の節目として協力・共同してとりくんだ左京母親連絡会5人を含む)
    マイク宣伝とビラ配布
 太平洋戦争開始54周年の日の宣伝活動
    と き: 1995年12月8日(金)午後4時−5時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 8人
    マイク宣伝とビラ配布
 アメリカ兵の沖縄県少女暴行に抗議するとともに大田沖縄県知事を支援し、在日米軍基地の縮小・
  廃止と日米地位協定の全面的見直しを要求する共同行動に参加して
 1)第10回(1995年11月17日)及び第11回(1996年2月15日)の学習討論集会
 2)太平洋戦争開始54周年の日(1995年12月8日)の宣伝活動

1996年

 3)6(ヒロシマ)9(ナガサキ)宣伝活動
  I. 1996年1月6日(土)午後3時(銀閣寺哲学の道)参加者5人 沖縄署名50筆
  II. 1996年1月16日(火)午後3時(高野いづみや前)参加者4人 沖縄署名40筆
 4)「沖縄のたたかいを全国へ! 日本の主権と平和を守ろう! 1・15沖縄連帯集会」への参加
    と き: 1996年1月15日(祝)午後3時
    ところ: 沖縄県那覇市与儀公園
    参加者: 8,000名(「さきょう平・民・懇」代表1人−民青同盟東南ブロック−)
 5)沖縄連帯宣伝活動−大田昌秀沖縄県知事の手紙を受けて−
    と き: 1996年5月18日(土)午後4時30分
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 3人
 太平洋戦争終戦51周年の日の宣伝活動
    と き: 1996年8月15日(火)午後5時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 5人
    マイク宣伝とビラ配布
 太平洋戦争開始55周年の日の宣伝活動
    と き: 1996年12月8日(金)午後4時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 9人
    マイク宣伝とビラ配布
 「望年のつどい」
    と き: 1996年12月10日(火)午後6時
    ところ: 佐野家
    問題提起: 「国会をめぐる情勢」井上哲士氏−日本共産党京都府委員会政策委員長−
    参加者: 7団体11人

1997年

  太平洋戦争終戦52周年の日の宣伝活動
    と き: 1997年8月15日(火)午後5時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 6人
    マイク宣伝とビラ配布
 太平洋戦争開始56周年の日の宣伝活動
    と き: 1997年12月8日(金)午後4時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 12人
    宣伝車による訴えとビラ配布
    「新ガイドライン」に反対する全国統一行動の一環としてとりくむ
 「平和と映画のつどい」の開催
  −沖縄県民映画「GAMA・月桃の花」の上映−
    と き: 1997年8月29日(金)午後6時30分
    ところ: 教育文化センター・ホール
    入場者: 268人(前売券226、当日40、その他2)
    入場料: 一般 前売券1,300円(当日 1,700円)
         子ども 前売券1,000円(当日 1,200円)
    還元金: 団体扱い 一般100円、子ども50円
    費用按分: 京都映画センター 60%(フィルム借上料、消費税)
          「さきょう平・民・懇」 40%(会場費、印刷費、宣伝費など)

1998年

 太平洋戦争終戦53周年の日の宣伝活動
    と き: 1998年8月15日(土)午後0時30分
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 7人
    マイク宣伝とビラ配布(新ガイドライン反対の意見広告ビラ)
 「平和と映画のつどい」にとりくんで−香港・中国合作映画「南京1937」の上映−
    と き: 1998年8月28日(金)午後6時30分
    ところ: 教育文化センターホール
    入場者: 303人(前売券243、京建労21、民医連半券返し分14、大文字コーラス4、他県見
          学者1、中学生以下20)
    1部(講演)「南京大虐殺と新ガイドライン」(講師:加藤英範弁護士)
    2部(映画)「南京1937」(香港・中国合作映画)上映
    入場料: 一般 前売り1,000円(当日1,500円)
         高校生 前売り500円(当日500円)
         中学生以下 無料
    費用分担: 京都映画センター 150千円(フィルム借上料、消費税)
          その他費用 「さきょう平・民・懇」が入場券収入でまかなう 
 太平洋戦争開始57周年の日の宣伝活動
    と き: 1998年12月8日(火)午後0時30分
    ところ: 百万遍交差点
    参加者: 17人
    宣伝車による訴えとビラ配布(新ガイドライン反対の意見広告ビラ)

1999年

 「建国記念日」を認めない! 戦争法(新ガイドライン)反対!街頭宣伝
    と き: 1999年2月11日(木)午後2時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 11人
    宣伝車による訴えとビラ配布(新ガイドライン反対の意見広告)
 太平洋戦争終戦54周年の日の宣伝活動
    と き: 1999年8月15日(日)午後4時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 12人(うち左京母親連絡会3)
    宣伝車による訴えとビラ配布(新ガイドライン反対の意見広告)
 戦争法(新ガイドライン)の発効と米軍基地強化に反対する10・21全国統一行動に連帯する街頭宣伝
    と き: 1999年10月20日(水)午後4時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 6人及び京都革新懇1人
    宣伝車による訴えとビラ配布
 太平洋戦争開始58周年の日の宣伝活動
    と き: 1999年12月8日(水)午後3時
    ところ: 高野いづみや前
    参加者: 12人(うち母親連絡会3)
    宣伝車による訴えとビラ配布

2000年

 「守ろう憲法と平和きょうとネット」の発足と参加
   発会総会
    と き: 2000年1月27日(木)午後7時
    ところ: 京都YMCA(地階)マナホール
    参加者: 100人(うち「さきょう平・民・懇」2)
    「沖縄米軍基地問題の共同アピール」の決定
    代表幹事 黒木順子(京都YWCA会長)
         小泉 純(京都福音ルーテル教会牧師)
         服部 待(京都YMCA役員)
 「守ろう憲法と平和きょうとネット」主催「5・28市民のつどい」への参加
    と き: 2000年5月28日(日)午後1時
    ところ: 京都YMCA(地階)マナホール
    参加者: 150人(うち「さきょう平・民・懇」3)
    集会後デモ行進(三条通り−堺町通り−四条通り−河原町通り)
 太平洋戦争終戦55周年の日の宣伝活動
    と き: 2000年8月15日(火)午後1時30分
    ところ: 百万遍智恩寺前(参拝者と手づくり市参加者)
    参加者: 21人
    宣伝者による呼びかけとビラ配布
    署 名: 39筆(憲法擁護・核廃絶)

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2.左京における進歩と革新の伝統
−代表世話人会にあわせた学習会のとりくみ−

 第一回(1991年6月6日)
   テーマ: 「左京における革新性」
   講 師: 梅田勝氏(前衆議院議員、京都平民懇世話人)
 第二回(1991年9月19日)
   テーマ: 「左京と革新自治体」
   講 師: 稲田達夫氏(元京都府出納長、「さきょう平・民・懇」代表世話人)
 第三回(1992年1月10日)
   テーマ: 左京区における医療民主化と社会保障拡充をめぐって−医療機関における35年の歩
         みから−
   講 師: 藤井洋一氏(「さきょう平・民・懇」事務局長)

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3.国民的課題をテーマとして定着してきた学習討論集会

 第1回 1991年7月11日(土)午後6時30分 みかげ会館
   テーマ: 「自衛隊海外派兵、小選挙区導入、コメ輸入自由化、消費税定着化は国民に何をも
         たらすか」 
   パネラー: 「平和と憲法」 上田勝美教授(龍谷大学法学部)
         「民主主義と小選挙区制」 稲村五郎弁護士(自由法曹団)
         「国民生活とコメ輸入自由化」 下伊豆弘組合長(美山農業協同組合)
   参加者: 31人(パネラー3人を含む)
 第2回 1992年2月19日(土) 午後6時30分 左京民商会館
   テーマ: 「国民医療と医療法改悪」 
   講 師: 安井浩院長(安井病院)
   参加者: 15人(講師とも)
 第3回 1992年5月30日(土)午後6時30分 みかげ会館
   テーマ:「PKO(国連平和維持活動)協力法とカンボジア」講師・宮城泰年執事長(門跡聖護院)
       「どうなるカンボジア−国会報告を中心に−」 講師・寺前巌衆議院議員(日本共産党)
   参加者: 43人
 第4回 1992年9月5日(土)午後6時30分 みかげ会館
   テーマ: 「部落問題を考える−左京区での部落解放運動のあゆみから−」
   パネラー: 杉之原寿一氏(部落問題研究所理事長、神戸大学名誉教授)
         有吉節子氏(京都市会議員、日本共産党)
         井上繁和氏(全国部落解放運動連合会田中支部執行委員)
   参加者: 18人
 第5回 1993年2月18日(木)午後6時30分 左京民商会館
   テーマ: 「不公平税制とその民主化」
   パネラー:(税制面)藤原隆氏(藤原税理士事務所)
        (運動面) 近藤英夫氏(左京民主商工会事務局長)
   参加者: 19人
 第6回 1993年6月26日(金)午後6時30分 みかげ会館
   テーマ: 「京都の町なみと自然環境を守るために」
   パネラー: 木村万平氏(住環境を守る京のづくり連絡会代表)
         榊原義道氏(北山の自然と文化を守る会代表幹事)
   参加者: 23人
 第7回 1993年10月15日(金)午後6時30分 みかげ会館
   テーマ: 「小選挙区制・政党への公金助成制の導入に反対し、憲法の平和的・民主的原則を
        守るために」
   パネラー: 山本健次教授(立命館大学法学部)
         渡辺和俊委員長(日本共産党左京地区委員会)
   参加者: 26人
 第8回 1994年3月10日(木)午後6時30分 みかげ会館
   テーマ: 「京都に府民のくらしを守る新しい民主府政を築くために」
   パネラー: 「コメの輸入自由化反対、日本農業を守ろう」
           講師・杉浦節子委員長(京都生協農業委員会)
         「消費税の増税反対、国民収奪の消費税廃止を」
           講師・藤原隆所長(藤原隆税理士事務所)
   メッセージ: 木村万平氏(府民本位の新しい民主府政をつくる会顧問)
   参加者: 17人
 第9回 1994年7月28日(木)午後6時30分 川端診療所生健ホール
   テーマ: 第1「有事立法と憲法」 講師・福井英雄教授(立命館大学法学部)
        第2「医療などの社会保障制度」 講師・片野里美看護婦(安井病院)
        第3「国会をめぐる情勢」 講師・渡辺和俊委員長(日本共産党左京地区委員会)
   参加者: 29人
 第10回 1995年11月17日(金) 午後6時30分 みかげ会館
   テーマ: 第1「介護の実態と介護保険」 講師・諏訪健次事務局長(安井病院)
        第2「アメリカ兵の沖縄県少女暴行は許せない!−沖縄県民総決起集会の4項目要求
         を実現するために−」 講師・河合朝子看護婦(安井病院)
        第3「安保・基地問題など今日の政治情勢と革新統一の前進のために」 講師・渡辺
         和俊委員長(日本共産党左京地区委員会)    
   参加者: 25人
 第11回 1996年2月15日(木)午後6時30分 田中神社集会所
   テーマ: 第1「沖縄のたたかいを全国へ!−96年1月15日 沖縄連帯集会に参加して−」
           報告・武田葉さん(民青同盟東南ブロック)
        第2「京都市長選挙において民主勢力が勝利するために」 報告・渡辺和俊委員長(日
         本共産党左京地区委員会) 
   参加者: 20人
 第12回 1996年7月5日(金)午後6時30分 左京民商会館
   テーマ: 「憲法公布50年−沖縄そして安保・基地を考える−」 講師・加藤英範弁護士(加
         藤法律事務所)
   参加者: 15人
 第13回 1997年2月22日(土)午後6時30分 京都大学理学部2号館
   テーマ: 「あなたの町は大丈夫か? 左京の活断層−阪神・淡路大震災に学んで−」
          講師・尾池和夫教授(京都大学理学部)
   参加者: 83人
 第14回(4団体共催) 1997年12月18日(火) 午後6時30分 教育文化センター202号室
   テーマ: 第1「新ガイドラインと沖縄問題」 講師・大西広助教授(京都大学経済学部)
        第2「新ガイドラインと国会情勢」 講師・東中光雄衆議院議員(日本共産党)
        第3「沖縄・名護シンポジウム参加報告」 報告・寺本光代表世話人(「さきょう平・
         民・懇」)
   参加者: 39人
 第15回 1999年7月23日(金)午後6時30分 門跡聖護院大広間
   主テーマ: 「有事法制と憲法」 講師・上田勝美教授(龍谷大学法学部)
   副テーマ: 「医療現場」 原一三さん(京都大学職員組合中執・看護婦)
         「自治行政」 古谷茂さん(市職労左京支部支部長)
         「税制」 藤原隆さん(藤原税理士事務所)
         「労働法」九後健治さん(京都国公労組共闘会議事務局長)
         「宗教者」大島亮準さん(呂律山念仏寺住職)
   参加者: 55人
 第16回 2000年11月16日(木)午後6時30分 教育文化センター202号室
   テーマ: 「憲法第九条があぶない−憲法調査会(国会)がねらうもの−」
          講師・奥村一彦弁護士(第一法律事務所)
   参加者: 23人

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4.「さきょう平・民・懇」刊『京都・左京の15年戦争−戦時下に生きた人びと−』の出版・普及にとりくんで

 1.編集委員会 <構成>鯵坂、青木、稲田、井手、浦本、木田、倉崎、寺本、原田、藤井
         <会議>第1回(1994年7月24日)―第17回(1995年4月23日)
 2.執筆者 50人
 3.関連する「つどい」
  1)戦時下の生活を語る集い
     I, 講演と出版協力の要請(左京民商会館) 1994年12月17日(土)午後2時 20人
    II, 左京生健会下柳班班会(長尾氏宅) 1994年9月9日(金)午後2時 11人
  2)出版記念の集い
    と き: 1995年7月28日(金)午後6時30分
    ところ: 教育文化センター101号室
    参加者: 44人(執筆者25、9団体代表10、京都平民懇3、取材記者2、「さきょう平・民・
          懇」4)
 4.普及活動
  1)責任分担部数(「さきょう平・民・懇」分)820部 頒布価1,600円
  2)普及状況 総普及部数 815部
         不明数    1部
         在庫数    4部
 5.まとめ
   戦後50周年を迎えて、戦時下のくらしの語り部がいよいよ少なくなってきているとき、満州事
  変・日中戦争・太平洋戦争の戦時下における先達らの平和・民主主義・国民のくらしを守る闘い、
  革新運動の前進のために苦闘してきた足跡を住民の手で掘りおこしてきたことは、左京区の革新
  の伝統とそのエネルギーの力づよさを表すものです。さらに多くの執筆者の協力をうけて、左京
  における戦時下のくらしを記録にとどめ、出版したことは、左京区の住民史の一端を担うもので
  あり、またこれは単に過去を知るだけでなく、現在の運動に活力をもたらすとともに、21世紀に
  おける平和・民主主義の日本・革新の日本を展望するうえで大きな励ましとなると思います。

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5.左京区における4団体の協力・共同のとりくみ
−戦争法(日米防衛協力の新指針・新ガイドライン)の制定に反対し、発動を阻止するために−

1.協力・共同の組織づくりの打合せ

  1)日本共産党左京地区委員会常任委員と「さきょう平・民・懇」運営委員との懇談
    と き: 1997年8月19日(金)夜
    ところ: 日本共産党左京地区委員会第2事務所
    出 席: 共産党6 平民懇6 計12人
    一致点: 1. 平和・民主主義および革新を願う人びととの団体の結集体としての平民懇の
          役割は重要であり、その活動の発展のために努めていく。
         2. 当面、平和・民主主義・国民のくらしに重大な危害をもたらす日米防衛協力
          の新指針(新ガイドライン)に反対する闘いを草の根から発展させていく。
  2)左京地区労働組合協議会幹部と「さきょう平・民・懇」役員との懇談
    と き: 1997年11月5日(水)午後6時
    ところ: レストラン聖護院
    出 席: 12人(地区労5、原水協1、共産党1、平民懇5)
    一致点: 1. 地区労と平民懇は一致できる課題での協力・共同のとりくみを強めていく。
         2. 当面、構成は下記4団体とする。   
            左京地区労働組合協議会(地区労)
            左京原水爆禁止協議会(原水協)
            日本共産党左京地区委員会(共産党)
            平和と民主主義をすすめる左京懇談会(平民懇)
         3. 当面のとりくみ
           「新ガイドライン」に反対する闘いを草の根から発展させるためにとりくむ。
            1.「新ガイドライン」に反対する意見広告賛同署名にとりくむ
            2.上記のビラを左京全域に配布する
            3.「新ガイドライン」反対の学習討論集会を開催する

2.4団体の協力・共同のとりくみの経過

  1)学習討論集会−通算第14回(1997年12月18日・火、教文センター203号室、39人)
  2)「新ガイドラインに反対する意見広告賛同署名」のとりくみ
   運動期間 前記学習討論集会(97年12月18日)での呼びかけから1998年2月16日まで
   賛同署名 個人674 団体37
   資金協力 個人1口500円、団体3口以上 総計1,040口
   ビラ配布 左京全域への新聞折込み
         京都新聞(朝刊)2月26日付 33,700部
         しんぶん赤旗(日刊)3月1日付 
           同上 (日曜版)3月8日付
         各団体の組織配布
         各種街頭宣伝での配布
  3)ミニ学習会・小集会での訴え
    11会場 参加者延数 555人

3.戦争法(新ガイドライン)に反対する署名活動
−「さきょう平・民・懇」第2回(7月28日)代表世話人会報告−

   最終集約 311枚 1,496筆

4.戦争法(新ガイドライン)関連法の強行採決に抗議するたたかい

  1)街頭宣伝
    と き: 1998年5月15日(土)午後1時
    ところ: 百万遍・知恩寺前−参拝者・手づくり市参加者−
    参加者: 25人
    宣伝車による訴えとビラ配布
  2)全国集会及び国会請願への代表派遣
    と き: 1998年5月21日(金)
    ところ: 東京・明治公園
    代 表: 3人(左京民主商工会1、民青同盟東南ブロック2)
         署名の第1次分226枚1,105筆の提出
  3)左京地区労主催「昼休みデモ」への参加
    と き: 1998年5月21日(金)
    参加者: 3コースに200人

5.戦争法(新ガイドライン)関連法の具体化を許さないために

  1)寺院・教会及び諸団体へのよびかけ
    寺院・教会あて協力要請文の郵送 259通
    諸団体・署名人あて配布    約50通
  2)寺院・教会への訪問活動
    訪問先 17寺院・教会

6.4団体主催「平和と映画のつどい」のとりくみ

    と き: 1999年8月27日(金) 2部制
    ところ: 教育文化センターホール
    参加者: 233人(昼の部99人、夜の部134人)
    1部・講演−夜の部のみ−
        テーマ「NATO軍のユーゴスラビア・コソボへの空爆の攻撃基地化したギリシア
         の実態と国民の闘い」 講師・斎藤衛教授(京都大学大学院理学研究科)
    2部・映画−昼夜共通−
        「女たちの太平洋戦争」
    入場券: 一般・前売券 1,000円(当日 1,200円)
         中・高生・前売券 500円(当日 700円)
         小学生以下 無料
         (団体扱い・還元金なし)
    前売券分の入金状況
         一般  中・高生  
     地区労 9     0
     共産党 35     2
     平民懇 204    1
      計  248    3  総計260
     関西プロデュース 9
    協賛広告 団体扱い 17団体(23口) 69千円
         協賛金  関西プロデュース 50千円

7.世界に光輝く日本国「憲法第九条を守る署名」のとりくみ
−2000年5月3日憲法施行記念日をめざして−

  1)よびかけ人の協力要請
   I,  訪問活動−1999年10月14日(木)−2000年4月6日(木)−5回
     訪問先 28(応諾者16、財政協力のみ2)
   II,  よびかけ応諾者−2000年4月末現在−
     個人93、団体11 合計104
  2)「憲法を守る署名」のよびかけビラの配布
   <第1次> 5月3日(憲法記念日) しんぶん赤旗(日刊)折込み 2,000枚
   <第2次> 5月17日 「さきょう平・民・懇」第10回総会 100枚
         5月21日 しんぶん赤旗(日曜版)折込み 7,000枚
         諸団体への配布 400枚
   <第3次> 街頭宣伝・諸団体機関紙折込み及び宗教関係者への郵送など 13,100枚

8.4団体共催「平和と映画のつどい」を成功させて

    と き: 2000年8月24日(木)−昼夜2部制−  
    ところ: 教育文化センターホール
    映 画: チンパオ  講 演: 金紅実さん(昼)、筧久美子さん(夜) 
    参加者: 昼の部  夜の部   計   (前年)
     前売券  77  102  179  (178+子ども9)
     当 日 20+子5 50+子1 70+子6  (24+子) 
     京建労   4    6   10   (9)
     無料分   2    9   11   (12)
      計  108  168  276
     (昨年)  (99) (134)       (233)
    前売券の清算状況
          配布枚数       回収(枚数、金額・円)  廃棄枚数
     地区労  400(500−100) (1) 1,000   399
     原水協   50( 50−  0)      0     50
     共産党  300(500−200) (45)45,000  255
     平民懇  420(500− 80) (197+1)197,500  41
      計  1170          (243+1)243,500 745
    協賛広告: 15団体(21口+1万円)  73,000円
    京都映画センター (フィルム借上料・消費税) 157,500円

9.地区労主催・4団体後援「舞鶴自衛隊基地めぐり」のとりくみ

    と き: 2000年10月15日(日) 日帰り
    参加者: 15人(バス1台) うち平民懇8人

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6.京都革新懇・全国革新懇のとりくみへの参加
−主なもののみ列記−

1.京都革新懇「京都平民懇・革新懇20周年を祝う会」

 第一回(1991年6月6日)
    と き: 2000年10月27日(金) 午後6時
    ところ: 京大会館
    参加者: 80人(うち「さきょう平・民・懇」3人)

2.全国革新懇

  i. 「憲法と日本の民主主義を考える京都シンポジウム」
    と き: 1991年10月6日(日)午後1時
    ところ: 京都会館会議場
    パネリスト: 上田勝美さん(龍谷大学法学部教授)
            峻淑子さん(埼玉大学教育学部教授)
           不破哲三さん(日本共産党幹部会委員長、全国革新懇代表世話人)
    参加者: 700人(うち左京区 73人)
  ii. 第1回「地域革新懇全国交流会」
    と き: 1992年11月14日(土)〜15日(日)
    ところ: 京都・立命館大学
    参加者: 350人(うち「さきょう平・民・懇」9)
  iii. 第3回「地域革新懇・職場革新懇全国交流会」
    と き: 1997年2月15日〜16日(日)
    ところ: 神戸市
    参加者: 650人(うち「さきょう平・民・懇」1)
  iv. 「沖縄の海上ヘリポート建設と日本の進路を問う−沖縄・名護シンポジウム−」
    と き: 1997年12月5日〜7日(日)
    ところ: 名護市
    参加者: 1,000人(うち「さきょう平・民・懇」1 ―沖縄県民映画「GAMA・月桃の花」
          上映運動の剰余金の一部2万円を現地の「海上ヘリ基地反対協議会」に資金カ
          ンパを行なった)
  v. 「地域革新懇全国交流会」
    と き: 2000年12月9日〜10日(日)
    ところ: 第1日(全体集会)午後1時30分 京都会館
         第2日(分科会)午前9時− 関西文理学院(鞍馬口)
    参加者:       (うち「さきょう平・民・懇」   )
  vi. 全国革新懇刊行物の普及
   1.1991年「全国革新懇結成10周年にあたって」 10部
   2.1993年「第1回地域革新懇全国交流会報告集」 40部
   3.1998年「新ガイドライン問題を問う」(パンフレット@200円) 80部
   4.2000年「私たちのねがう日本」(ブックレット@500円) 100部
   5.2000年「地域・職場の網の目に革新懇を」(パンフレット@100円) 100部
   6.「全国革新懇ニュース」の購読者募集
    12月2日現在 個人6、団体2

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資料

1.平和と民主主義をすすめる左京懇談会「とりきめ」

 この会は『平和・民主主義・革新統一をすすめる全国懇話会』(全国革新懇)のしめしている『三つの共同目標』の実現をめざして組織するものであり、この『共同目標』とこの『とりきめ』に賛同する左京区内の全ての団体と個人の自由な意思により構成するものです。

 この会のあり方を明確にするために、以下にこの会の『とりきめ』を定めます。

  1. (会の名称)
    この会は『平和と民主主義をすすめる左京懇談会』(略称:さきょう平・民・懇)と称します。
  2. (会の連絡所)
    この会の連絡所は下記に置きます。
    能勢記念館内   所在地  左京区下鴨中川原町26
             電話  (075)781-1520
  3. (会の目標)
    1)この会は全国革新懇がめざしている下記の『三つの共同目標』を当会が実現すべき目標とします。
    『第1に、軍備拡大や大企業・財界の利益のために、国民のくらしを犠牲にする政治に反対し、軍事費の削減と福祉・教育の充実を実現すること
     第2に、憲法改悪をはじめ、軍国主義復活のあらゆる策動、金権・腐敗勢力の政治支配に反対し、自由と人権、民主主義を守る清潔・公正な政治を実現すること
     第3に、核兵器の全面禁止を緊急課題として、アメリカの核戦略への協力・加担に反対するとともに、すべての軍事ブロックの解消と日本を核戦場にする日米軍事同盟をやめ、平和で真に独立した非核・非同盟・中立の日本をめざすこと
    ―1981・5・26―』
    2)左京区における平和・民主主義・生活を守る諸運動を推進していきます。
    3)全国及び左京区における諸運動に関連する京都平民懇の諸運動に取組みます。
  4. (組織構成)
    この会は前項の『三つの共同目標』に賛同し、一定の会費を納入する団体及び個人により構成します。
  5. (財政)
    この会を維持するために、全ての会員は会の財政活動を強化するために下記の協力をするものと します。
      会費 ―団体・1口(年)3,000円以上
          個人・1口(月) 100円以上(年払制)
    京都平民懇左京在住会員の会費は京都平民懇分のみとし、さきょう平・民・懇としては会費分担を求めない。
      寄附金 ―必要に応じて随時とりくみます。
      事業活動―必要に応じて随時とりくみます。
  6. (会議)
    この会の発展と団結をつよめていくために、この『とりきめ』にもとづいて会の民主的運営を強めていきます。そのために、以下の諸会議を組織します。
      総会 ・ この会の最高の意思決定機関であり、全ての会員により構成します。
         定例開催・年1回(予定4月)
         臨時開催・随時
    代表世話人会・総会につぐ会の決議・執行機関であり、代表世話人及び運営委員により構成します。
         定例開催・年2回(予定1月と9月)
         臨時開催・随時
    運営委員会・ 総会並びに代表世話人会の決定にもとづいて実務的に処理することをこの役割とし、運営委員により構成します。運営委員は代表世話人会の決定をうけて必要に応じて拡充できるが、直近の総会にて承認をうけるものとします。
         定例開催・毎月1回
         臨時開催・随時
  7. (役員)
    この会につぎの役員をおきます。
      総会選出
        代表世話人    (若干名) 会の代表・会長(1名)
        運営委員     (若干名) 事務局長   (1名)
                       事務局次長  (2名)
  8. (『とりきめ』の改廃)
    この『とりきめ』を改訂又は廃止するときは、総会の決議をうけるものとします。
  9. (細則)
    この『とりきめ』にもとづいて、会の運営に必要な細則を定めることができます。この場合、代表世話人会の決定をうけるとともに、直近の総会において承認をうけるものとします。
  10. (制定・施行)
       制定 1991・4・18 (於・再開総会)
       施行 即日

以上

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2.第1回総会時(1991年4月18日)「役員名簿」

 代表世話人   鯵坂  真(関西大学教授)
         稲田 達夫(元京都府出納長)
         加藤 英範(第一法律事務所・弁護士)
         倉崎 久子(京都生協)
         寺本  光(日本共産党京都府委員会名誉府委員)
         中川 義文(日本共産党左京地区委員会委員長)
         中島 せき(左京内職友の会会長)
         藤井 洋一(京都民医連中央病院エリア前事務局長)
 運営委員    三宅 則義(京都大学職員)
         木田 鍵作(元関西文理学院総務部長)
         倉崎 久子( 前記 )
               寺本  光( 前記 )
         藤井 洋一( 前記 )
 会の代表・会長 鯵坂 真( 前記 )
 事務局長    藤井 洋一( 前記 )
 財務担当    木田 鍵作( 前記 )

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