行くな!行かすな!自衛隊
左京・STOP!イラク派兵
1・17ピース・ウォーク
石破茂防衛庁長官は9日夕、イラクへの自衛隊派兵で、陸上自衛隊の先遣隊と、航空自衛隊の本隊に派遣命令を出しました。陸上自衛隊の先遣隊は15日にも出発の予定です。憲法を踏みにじる重大な事態に、全国でさまざまな反戦行動が急速に広がっています。左京区では左京平民懇、左京地区労、左京原水協、日本共産党左京地区委員会の4団体がよびかけて、1月17日(土)午後1時、百万遍集合でピースウォークが行なわれ、市役所まで行進、同所での京都集会・デモに合流します。
○とき 2004年1月17日(土)午後1時、百万遍下がる・京大博物館前集合
○平和行進 百万遍 → 東山三条 → 河原町通り → 市役所
○横幕、プラカード、手書きポスター、ゼッケンなどで意思表示を
京都行動 1月17日(土)午後2時、アピール行動 午後3時、行進出発 祇園石段下まで 主催:STOP!イラク派兵・京都
京都行動第二弾 1月17日(土)午後7時、京都市役所前集合 → 四条河原町まで行進 よびかけ:有事法制反対京都共同センター
1・15(木)午前11時〜12時 知恩寺門前で宣伝活動
毎月15日に百万遍知恩寺境内で開かれる手作り市にあわせて、新婦人左京支部、左京母親連絡会、左京平民懇などが平和のアピールをおこなっています。1月15日は、ちょうど陸上自衛隊の先遣隊出発も予定されており、よびかけ団体では、多くの方々の参加を訴えています。
<資料>憲法をめぐる動き
憲法改悪反対「結び目」運動では、第一次の連名アピールを2003年11月に発表して以来、よびかけ団体の打合せ会を定期的に開いています。この間12月2日、16日、2004年1月6日。これらの会合では、それぞれのとりくみの状況を出し合うとともに、憲法をめぐる動きについても話し合っています。
改憲賛成議員衆院の73%に
- 11月9日投票の総選挙で当選した衆院議員の73%が改憲賛成、改憲発議に必要な3分の2を超える。自民−賛成89%、公明−賛成45%、反対19%、その他23%、民主−賛成64%、反対19%。(読売11月21日付)
- 自民党、保守新党との合併調印で「新憲法の制定」を明記 17日(赤旗23日付)
- 中山憲法調査会長、首相に「憲法改正国民投票法案」の通常国会成立を要請 18日 同法案は憲法調査推進議員連盟(自民、民主、公明の改憲派議員の集まり)で作成済み、自民党は了承、民主党、公明党は検討中。(赤旗23日付)
- 衆院憲法調査会 総選挙後の新体制に。50人の委員中、改憲の自民党が25人。
船田元・筆頭幹事(「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」−小沢調査会の事務局長を務めた) 保岡興治・幹事(自民党憲法調査会長、山崎拓側近、憲法調査会でも改憲発言) 平沼赳夫(皇国史観の実現、憲法改悪を目指す「日本会議」の国会議員懇談会幹事長で、「自主憲法の制定」を自身のホームページに掲げる) 中谷元・前防衛庁長官(「集団的自衛権の決断」を自身のホームページに掲げる) 綿貫民輔・前衆院議長(神道政治連名国会議員懇談会会長) 公明党−赤松正雄・幹事(集団的自衛権行使に積極的) 太田昭宏・党憲法調査会長 民主党−長島昭久(日米軍事同盟強化論者) 20日(赤旗23日付)
中山会長、憲法調査会の最終報告書を来年6月までに取りまとめると発言(7月の憲法調査推進議連総会で) - 自民、民主、公明各党の国防族議員でつくる「安全保障議員協議会」(会長・瓦力元防衛庁長官)が「『主体的防衛戦略』の具体化に向けて」を公表。同協議会などの主催で20日から都内で開かれている「日米安全保障戦略会議」にあわせて明らかにされたもの。集団的自衛権の行使容認、巡航ミサイルの導入、非核三原則の見直しなどが主な内容。(赤旗24日付)
「日米安全保障戦略会議」では、会場の衆議院憲政会館に米軍需産業が実物大の模型ミサイルなどを展示。参加した自民、民主の議員らからは、地球的規模での自衛隊の海外派兵体制の構築や憲法改悪などの主張があいつぐ。(赤旗21日付) - 国会で改憲問答 25日衆院予算委員会 安部自民幹事長「憲法改正するべき」と明言して質問。
小泉首相「よりよい憲法つくっていくべきではないか」と答弁。予算委での首相の改憲発言は、1956年の鳩山首相以来とも。
<安部幹事長のいう憲法改正3つの理由>
- 連合国占領軍が短期間で書き上げたという制定過程の問題
- 制定から半世紀を超え時代に適合的でない条文もある
- 新しい憲法をつくるという創造的精神が新しい時代を切り開く
- 自民党憲法調査会、国民投票法案を来年の通常国会に提出、成立目指す方針を確認 16日
- 自民党の基本理念委員会が初会合、教育・外交・改憲などに関する党の基本姿勢を明確にする方針を確認。同委員会は結党50周年に向けて、党の将来像や国家像を論議する安倍幹事長の諮問機関として設置。安倍幹事長は「党の公約である憲法改正に向け、あるべき日本の姿を国民に示したい」とあいさつ。18日
- 政府は19日、安全保障会議と閣議を開き、「ミサイル防衛」システムの導入を決定。現行の「防衛計画の大綱」(1995年11月)に代わる新たな大綱を2004年末までに策定するなど「防衛力の見直し」の基本方針も。
- 日本経団連の奥田碩会長が『文芸春秋』2004年1月号で憲法改定を求める発言。赤旗22日付
- 自民党憲法調査会が12月16日に総会、憲法改定の具体的手続きを定めた国民投票法案を来年(2004年)の通常国会に提出、成立を目指す方針を確認。また憲法改悪案策定に向け、条文ごとに見直しの論点をまとめた要綱案を次期通常国会中に作成することで一致し、このためのプロジェクトチームを設置。
- 民主党の鳩山由紀夫グループが16日に会合、グループ独自の改憲案を来年中にまとめる方針きめる。
- 小泉首相は18日、イラクへの自衛隊派兵に関する「基本計画」(9日閣議決定)に基づき、自衛隊の詳しい活動内容を定めた「実施要項」を承認。
- 政府は19日、安全保障会議と閣議を開き、「ミサイル防衛」システム導入を決定。「防衛力の見直し」の基本方針もきめる。
- 石破防衛庁長官が19日、航空自衛隊の先遣隊に対し派遣命令。
- 教育基本法改悪反対の全国集会に4000人、23日。
- 全国革新懇が25日、赤川次郎氏など46氏アピール「イラクへの自衛隊派兵をやめよ。憲法9条を守ろう」を発表。
- 航空自衛隊先遣隊が出発、26日。
- 政府の「国民保護法制整備本部」が26日に会合、法案作成作業を本格化させ、次期通常国会に提出する方針。大規模テロも発動対象に。
- 小泉首相が1日、靖国神社に参拝。
- 自民党は4日、憲法「改定」の具体的手続きを定めた国民投票法案を19日召集の通常国会に議員立法として提出する方針を固めた。中川秀直国対委員長が明らかにしたもの。民主党に協議打診も。
- 民主党の菅直人代表は4日、NHK「日曜討論」で、2006年までに民主党の改憲案をまとめる考えを表明。
憲法改悪反対「結び目」運動
自前学習会のすすめ方(参考)
憲法改悪反対「結び目」運動がよびかけている「自前学習会」について紹介します。
憲法改悪反対「結び目」運動の最大の特徴は、有権者・学生・生徒の過半数を「憲法改悪反対」の一点で結集し、憲法改悪を許さない世論の力を決定的に強めることです。
このために運動を自主的・自発的にすすめる主体として憲法改悪反対の「結び目」が形成され、この「結び目」が相互に連帯・共同して大きな網の目を形成していく姿を構想しています。
そして自主的な運動の活力は、何よりも、危険な段階に入った憲法改悪策動の情勢をきびしく識すること、そして平和な国際秩序をつくりだす上で比類のない日本国憲法の意義をつかんで、これを真に生かす方途を思いめぐらすことから生まれるのではないでしょうか。これは自らの力ですすめる、いわば「自前の学習」です。
次にこの要点を紹介します。これはあくまで一案であって、今後多くの「結び目」活動の実際の経験を通じて、大いに方法をみがいていきましょう。
- 憲法をめぐる動きについて、新聞などを活用し、経過を追ってメモをとる。
- このなかで改憲論や擁護論、再生論などの考え方の要点を整理する。
- これらをもとに「結び目」の集まりで、自由に話し合う。
- 話し合いのおもな論点をメモする。
- 不明な点は、分担をきめ、人に聞いたり、図書館等で調べ、次の集まりでまた話し合う。
- これらを継続して繰り返し行なえば、私たちの「憲法力」は飛躍的に強化され、世論作りに大きな力を発揮するでしょう。
ホーチミン廟へおまいり
日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会
藤本 了江
私達を勇気づけ導いてくれた偉人は多い中で、ホーチミンほど身近に感じられる人はいない。彼は負けることを知らずに虚偽ばかり重ねてきたアメリカ帝国主義の軍隊を、完膚なきまでに撃ち破り、敗北撤退させ、祖国を独立させた特筆すべき指導者である。
バンドン平和五原則を貫こうと、私は1955年の日本アジア連帯委員会設立以来、植民地独立の連帯運動を重ねてきた。70年代はベトナム反戦を組合運動の中心に据えてたたかい続けた。1975年4月30日、サイゴン陥落の瞬間、大統領府へ駈け上っていく統一旗と革命戦士達の姿を、テレビに釘づけにされながら喰い入るように見た日の感激は、今も忘れることができない。
この偉業を指導したホーチミン(胡志明)の廟へ、永年の夢かなって寺本、浦本、有吉さんや宇治の方々と一緒にお詣りすることができた。
12月とはいえ秋の気配のハノイは、土地代が高くて住宅街は背の高い家が次々建てられていたが、商店は、専門店ばかりで繁昌し、人通りは多く、バイクは洪水のように花木の多い車道を流れて、横断するのが大変だった。市場も豚、魚、野菜類が溢れていた。
ホーチミン廟は、フランス植民地時代、総督府のあった処を整地して、広々とした公園の中に作られていた。廟の少し手前で下車、列を作って検問所を通り、廟の前へ進む。衛兵に導かれて入り口へ、狭い階段をぐるぐる登って三階位の玄室に、ホーチミンの遺体は安置されていた。参拝者からは帽子が下に見える位置に衛兵達は整列して、遺体を護衛していた。私達は周囲の通路を、頭部の右側から足の方へ進み、足の真中辺りで私は合掌して万感の思いを届け、左側を頭の方へ進み、白く輝いている(レーニンの遺体処理と同じ方法)馴染深い髭のお顔と両手を見ながら、ベトナム戦争当時の面影を思い出し、玄室を後にした。
ブーゲンビリアのような亜熱帯の美しい花の咲く公園の中に、ロイヤルカラーの黄色い壁のホーチミンの事務所が点在し、事務机の上にはレーニンとマルクスの額が掲げられ、マントルピースの上には、日本人形がガラスケースに入って飾られていた。
池をはさんだ向い側の森の中に、高床式の自宅があり、質素ながら美しく整えられて残されていた。