Peace full info by 平和と民主主義をすすめる左京懇談会


ニュース25

STOP!イラク派兵

左京2・29ピースウォーク

2月29日(日)午後1時30分、京大博物館前(百万遍下がる)集合→ デモで三条河原へ

三条河原で京都集会に合流 よびかけ・左京4団体(平民懇、地区労、原水協、共産党)

 2月14日に海上自衛隊の輸送艦「おおすみ」(8900トン)が広島県・呉基地を出港しました。これで陸海空三自衛隊が同時に海外で、それもイラクという戦場で、米軍主導の占領軍の指揮下に入って展開することになります。戦争と暮らし破壊の既成事実化に慣らされることを拒否し、「時流」にきびしく歯止めをかける強力なたたかいの持続が求められています。

街頭宣伝を強化 左京母連、左京平民懇など

百万遍・毎週金曜日昼休み イズミヤ・毎週土曜日午後4時

 毎月15日に百万遍の知恩寺で開かれる手作り市に合わせ、左京区の新婦人、母親連絡会、左京平民懇が共同で反戦・平和の街頭宣伝を継続していますが、自衛隊のイラク派兵、憲法改悪のうごきが加速する中で、各団体では、標記のように街頭宣伝活動を一層強化します。

憲法改悪反対「結び目」運動

 また憲法改悪反対「結び目」運動のよびかけ団体打合せも継続し、有権者の過半数を結集し、圧倒的な世論で、憲法9条改悪を阻止する運動を強めることにしています。

左京平民懇代表世話人会のお知らせ

 情勢と運動の基本方向、この一年間の活動経過、自衛隊のイラク派兵反対・憲法改悪反対「結び目」運動、左京平民懇の強化拡大んどについて議論し、方針をきめます。

イラク派兵・憲法をめぐる動き

2004年1月6日〜2月10日

「しんぶん赤旗」他

2004年2月

「もう一つの世界は可能だ!」

―2004世界社会フォーラム参加記―

藤本 了江

 2004世界社会フォーラム(WSF)が、今年1月16日から21日まで、インド西岸の港湾都市ムンバイ(旧ボンベイ)で開かれ、日本アジア・アフリカ・ラテンアメリカ連帯委員会(略称AALA)の一員として参加してきました。年齢も考えずに参加を決意したのは、去年3月19日、アジア社会フォーラムの立役者であったK.M.カーン氏(国会議員)が、秋庭日本AALA理事長、幸野副理事長などに、「WSFをムンバイでやります」と京都で宣言された場に居合わせた者として、その成功を願わずにはいられなかったからです。

 WSFが世界の草の根の運動として、急速に広がったのは、それなりの理由がありました。

 1971年からスイスのリゾート地ダボスで、「欧州経営フォーラム」(通称ダボス会議)が毎年1月末開かれ、世界の多国籍企業経営者、有力政治家、著名学者らが集まり、地球規模の経済問題を自由に討議してきました。一種の社交場でもあり、年会費が3万ドルで、賢人会議とも呼ばれました。それがサッチャーリズム、レーガノミックス台頭の波に乗って、市場競争中心の新自由主義を掲げる世界のトップリーダーが集まる「世界経済フォーラム」(WEF)に発展、96年からはグローバル化を積極的に進める役割を果し、富は偏在し、貧富の差は拡大。経済的公正を求める人たちの非難の的となってきました。(2001年のダボス会議には当時の森首相、鳩山民主党代表、石原東京都知事らも参加しています)

 これに対して2001年1月、ブラジルのポルトアレグレで、ATTAC等の呼びかけで、対抗サミット「世界社会フォーラム」が産声をあげました。その合言葉は「ANOTHER WORLD IS POSSIBLE!」(もう一つの世界は可能だ)です。そこで起草された「世界社会フォーラム憲章」14原則は、以後の発展の枠組みとなりました。

 その第1は、「世界社会フォーラムは公開された討議の場です。わたしたちは考えを深め、アイデアを民主的に話し合い、提案をまとめます。経験を自由に交換し、効果的な行動を追求します」とあり、第14は、「世界社会フォーラムは一つの過程です。わたしたちは、参加する団体や運動組織の活動が、地域レベルから国家レベルへ、さらに国際レベルへとすすみ、地球市民として問題と取り組んでゆくことを奨励します。変革を目指す実践活動がいま試みられています。わたしたちは、こうした運動を全世界の人々の課題へと導き、連帯して新しい世界を築きます」となっています。(別処珠樹・安濃一樹訳による)

 最初の3回の世界社会フォーラムはブラジルのポルトアレグレで開かれました。2001年には16の会議、420のワークショップ、100以上の国から2万人が参加。2002年には、123の国から5万5千人が参加。

 2003年には156カ国10万人が参加、と急速に拡大し、このとき提案された2月15日の共同行動は、世界で1500万人という史上空前の、地球をとりまくアメリカのイラク戦争開始前の、非戦平和デモとなりました。

 第33回ダボス会議は、メインテーマの「信頼の構築」どころではなく、会場周辺で米国旗が焼かれたり、アメリカと欧州・途上国の対立、アメリカ内部での政治的・経済的利害等が明らかとなりました。

 2003世界社会フォーラムは「われわれの政治的羅針盤となった」とも云われるようになり、国連のアナン事務総長は「グローバリズムを世界から排除し、社会フォーラムが掲げる正当な世界を求めるべき」「米国の対イラク攻撃を阻止するよう国連が全力を尽くす」とメッセージを寄せました。

 国際議員フォーラム、ヨーロッパ、アジア、南米などに200以上の地域フォーラムが創設され、21世紀は話し合いで正義と平和と発展を実現する世紀となろうとしています。帝国主義と新自由主義グローバル化に対し、力強い抵抗をしているアジアとアフリカの人々を含めるため、2004年はインドのムンバイでの開催となったのです。(『エコノミスト』誌2003年5月13日号の加藤哲郎氏の論文を参考にした)

メニュー

e-mail:info@sakyo-heiminkon.jonex.ne.jp